日曜日は礼拝の日だ。
今日は、保育園のはし造りが10時からあるので、
8時半から、日曜学校で、9時から、大人礼拝だ。
朝食が終わると、
わたしは、白いテーブルをセットし、
講壇を出し、
敷物を敷いて、
布団をどかして、
暖房をつけた。
日曜学校は、妻が娘にマタイ福音書の「宮きよめ」の話をした。
礼拝は、
わたしが、
エゼキエル1章28節「その方の回りにある輝きのさまは、雨の日に雲の間にある虹のようであり、それは、主の栄光のように見えた。私はこれを見て、しれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。」
より「虹」という話をした。
①平安の計画
マタイ28章9節「すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。」
より、「おやよう」という復活のイエスの平安の言葉。
②神は栄光である。
Ⅰコリント2章8節「しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。」
③主はインマヌエル
マタイ1章23節「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる。という意味である。)
④主は真理である。
ヨハネ15章26節「わたしが父のもとから遣わす助け主、すあわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」
⑤主は救いである。
ヨハネ3章16節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
以上。
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